万倉村(読み)まぐらむら

日本歴史地名大系 「万倉村」の解説

万倉村
まぐらむら

[現在地名]楠町大字奥万倉おくまぐら美祢みね伊佐いさ町奥万倉

厚狭郡の中央東寄りの北部に位置する山村で、村の西部を有帆ありほ川が南流する。東は西吉部にしきべ芦河内あしがわち、南は今富いまどみ矢矯やはぎ、西は西万倉にしまぐら・厚狭(現山陽町)、北は伊佐いさ(現美祢市)の各村と接する。萩藩領で舟木宰判に属する。

観応元年(一三五〇)一二月二〇日付の万倉別府八幡宮文書(「寺社証文」所収)に「万倉別府」とみえ、また同神社の応永二八年(一四二一)三月三日付の鐘銘に「万倉郷」とみえる。中世の守護大名大内氏の重臣で守護代を勤めた杉氏の本拠地であった。村内の信田之丸しだのまる城跡はその居城とされる。

大永五年(一五二五)三月二三日付福嶋幾次郎家文書(「閥閲録」所収)に「万倉郷内拾五石杉四郎興安跡」とあり、この地を福嶋右京進に与えるという大内氏の下文を、内藤弾正忠(興盛)家臣の勝間田与一に伝達している。また杉七郎左衛門家文書(「閥閲録」所収)によれば、大内氏滅亡の年である弘治三年(一五五七)八月二八日に、杉松千代丸(のち重良という)知行地として「七二石 厚東郡内万倉郷 付国衙米加之」があげられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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