万里小路充房(読み)までのこうじ あつふさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「万里小路充房」の解説

万里小路充房 までのこうじ-あつふさ

1562-1626 織豊-江戸時代前期の公卿(くぎょう)。
永禄(えいろく)5年6月24日生まれ。勧修寺晴右(かじゅうじ-はれすけ)の子。万里小路輔房(すけふさ)の跡をつぎ,天正(てんしょう)17年参議兼左大弁。のち権(ごんの)大納言,従二位。慶長10年の出家後も後水尾(ごみずのお)天皇近臣としてつかえる。元和(げんな)5年宮中の風儀の乱れを理由に四辻季継(すえつぐ)らとともに幕府により丹波篠山(ささやま)に流されたが,翌年ゆるされた。寛永3年9月12日死去。65歳。

万里小路充房 までのこうじ-みつふさ

までのこうじ-あつふさ

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

関連語 コウジ

367日誕生日大事典 「万里小路充房」の解説

万里小路充房 (までのこうじあつふさ)

生年月日:1562年6月24日
安土桃山時代;江戸時代前期の公家
1626年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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