日本歴史地名大系 「三ッ沢村」の解説 三ッ沢村みつざわむら 山梨県:韮崎市三ッ沢村[現在地名]韮崎市穂坂町三ッ沢(ほさかまちみつざわ)上野山(うえのやま)村の北東、茅(かや)ヶ岳の南西山麓に位置する。村名は用(よう)の沢・櫟(くぬぎ)沢・一(いち)の沢といずれも六反(ろくたん)川水系に属する三つの沢が地内を流れていることによるという。三沢村とも記し、東は上今井(かみいまい)村。亥七月六日付の武田信玄印判状写(竜王村史)に「三ツ沢村」とみえ、永禄六年(一五六三)武田信玄は当村をはじめ、上今井村・宮窪(みやくぼ)村など九ヵ村に対して釜無川の川除普請を命じている。慶長古高帳では高一六七石余、幕府領。慶長七年(一六〇二)の検地帳(県立図書館蔵)では麻畑二反余・上畑一町四反余・中畑五町六反余・下畑八町七反余・下々畑六町九反余、永荒地二町七反余・屋敷六反余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by