宮窪(読み)みやくぼ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宮窪」の意味・わかりやすい解説

宮窪
みやくぼ

愛媛県北部,今治市の島嶼部を構成する旧町域。芸予諸島大島の東半部および四阪島,能島,鵜島などを含む。 1952年町制。 1954年大山村の一部を編入。 2005年今治市,大西町,大三島町,上浦町,菊間町,玉川町,波方町,伯方町,吉海町,朝倉村,関前村と合体し今治市となる。大島は花崗岩からなり,良質の石材大島石を産する。農業はミカン栽培が中心。沿岸漁業も行なわれる。宮窪杜氏の出身地。四阪島には 1905年操業を開始した別子銅山の精錬所があったが,1973年銅山閉山により操業を停止。善福寺の宝篋印塔 (国指定重要文化財) ,村上水軍の能島城跡 (国指定史跡) がある。春の旧暦彼岸に行なわれる2泊3日の島四国巡礼は,文化4 (1807) 年からの伝統を継いだ善根宿お接待で知られる。大島と伯方島を結ぶ伯方・大島大橋 (325m・840m) が 1988年1月に完成。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「宮窪」の意味・わかりやすい解説

宮窪
みやくぼ

愛媛県北部、越智郡(おちぐん)にあった旧町名(宮窪町(ちょう))。瀬戸内海の芸予諸島の大島北東部を占め、鵜(う)島、能(の)島、四阪(しさか)島などを含む。旧宮窪町は、1952年(昭和27)町制施行。2005年(平成17)吉海(よしうみ)町など8町2村とともに今治市に合併。現在は今治(いまばり)市の北部にあたる。本州四国連絡橋の尾道(おのみち)―今治ルート(西瀬戸自動車道=瀬戸内しまなみ海道、1999年全通)、国道317号が通じる。今治港や広島県土生港(因島)と定期船便で結ばれる。内海有数の漁港があり、漁業、ミカン栽培が盛ん。また大島石の採掘と石材業が行われ、全国的にも珍しい石の博物館である石文化伝承館がつくられている。杜氏(とうじ)の季節労働も有名。四阪島は別子(べっし)銅山の製錬所の立地で知られたが、1976年操業中止。能島には中世村上水軍の拠(よ)った能島城跡(国指定史跡)がある。鵜島は村上水軍の水汲(く)み場、船着き場があった地で、現在はミカン栽培が盛ん。

[横山昭市]

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改訂新版 世界大百科事典 「宮窪」の意味・わかりやすい解説

宮窪 (みやくぼ)

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