日本歴史地名大系 「三ノ関村」の解説 三ノ関村さんのせきむら 岩手県:江刺市三ノ関村[現在地名]江刺市広瀬(ひろせ)石関(いしぜき)村の東に位置し、北上高地の西端部の丘陵に立地。中央部を広瀬川が西流し、流域に狭隘な平地が開けている。戦国時代には、三ノ関館(城)に三関讃岐が拠った(仙台領古城書上)。同城は広瀬川南岸の丘陵端部に立地し、南・東・西部に堀の痕跡とみられる窪地がある。年月日未詳の伊達領内領知日記(伊達家文書)に、「江刺之内 五貫三百卅五文 三のせき 大田和右馬助分」とみえ、地内に大田和氏の給地があった。正保郷帳に三関村とみえ、田一三貫五六五文・畑一貫三三五文、ほかに新田四四四文がある。「安永風土記」によれば田一三貫七七〇文・畑二貫三文で、四貫四八二文は蔵入、ほかは給所。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by