三ッ木古戦場(読み)みつぎこせんじよう

日本歴史地名大系 「三ッ木古戦場」の解説

三ッ木古戦場
みつぎこせんじよう

[現在地名]岡崎市下三ッ木町 城堀

「三河国二葉松」によると、三ッ木城付近は「清康御弟松平十郎三郎康孝早世兄同蔵人信孝、天文十二年六月落城、走尾州」とあり、三ッ木城に拠った信孝の軍と岡崎の松平八代広忠の軍が戦った激戦の地である。この三ッ木城は松平六代信忠の三男康孝の居城であり、兄松平七代清康とともに活躍し、守山崩れによって清康が急死するや、三河に侵入した織田信秀の軍を迎え討って功績があった。しかし彼の死後は嗣子なきため兄の合歓木ねむのき城主松平信孝が三ッ木城を領有し、さらに岩津いわづ城をもその支配下に入れて勢力は強大であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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