日本歴史地名大系 「岩津」の解説 岩津いわづ 徳島県:阿波郡阿波町西林村岩津吉野川河口より約四〇キロの地点にある吉野川の狭窄部で、阿波町西林(にしはやし)の岩津地区とその対岸の麻植(おえ)郡山川(やまかわ)町川田の舟戸(かわたのふなと)地区との間にある淵。岩津の淵を境に上流域を北方上郡(きたがたかみごおり)、下流域を北方下郡ともよぶ。北岸は讃岐山脈南麓の開析扇状地が張出し、南岸は三波川(さんばがわ)変成帯の結晶片岩からなる高越(こうつ)山の山麓が迫り、吉野川の川幅は約一五〇メートルと著しく狭くなっている。そのため洪水時には岩津の淵で吉野川の流水が堰止められ、上流側の曾江谷(そえだに)川と吉野川との合流点付近は湛水しやすく、同地点付近には江戸時代より植林された水防竹林が繁茂し、集落は立地していない。仁和二年(八八六)と承徳二年(一〇九八)の洪水によって、吉野川の河道は現在のように岩津南岸を東西方向に流下するようになったとされる(「吉野川一元西林村古記録」徳島県災異誌)。それ以前は岩津北側の旧河道を流れていたとも考えられている。岩津は三好(みよし)郡川口(かわぐち)(現山城町)まで遡行可能であった吉野川のほぼ中間地点をなし、川幅が狭く淵をなして、渡場・舟泊としての好条件を備えているために、古来より吉野川の舟運においても要地をなした。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩津」の意味・わかりやすい解説 岩津いわづ 愛知県岡崎市北部の一地区。旧岩津町。国道248号が通じる。史跡に富み古墳、名刹(めいさつ)も多い。岩津古墳群は6世紀後半の築造。真福寺(しんぷくじ)は物部守屋(もののべのもりや)の子真福(まさち)の創建で、三河最古の寺といわれる。松平信光(のぶみつ)は丘上に岩津城を築き、西三河平野平定の基礎とし、信光明寺(しんこうみょうじ)を建てた。同寺には国指定重要文化財の観音堂がある。厄除(やくよ)け・合格祈願で有名な岩津天満宮は宝暦(ほうれき)年間(1751~1764)の創建。[伊藤郷平][参照項目] | 岡崎(市) 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岩津」の意味・わかりやすい解説 岩津いわづ 愛知県中央部,岡崎市北西部の旧町域。 1928年町制施行。 1955年岡崎市に編入。かつては周辺を農村に囲まれた商業地であったが,岡崎市市街地,豊田市方面への通勤者が増え,宅地化が進んだ。ナス,イチゴの施設園芸が行なわれ,観光ブドウ園もある。進学祈願の参詣者でにぎわう岩津天満宮がある。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by