三ッ橋村(読み)みつはしむら

日本歴史地名大系 「三ッ橋村」の解説

三ッ橋村
みつはしむら

[現在地名]酒田市大豊田おおとよだ

下星川しもほしかわ村の東にあり、南は中星川村。日向につこう川の支流荒瀬川の左岸に位置し、地内に同川から取水する灌漑用水路井皿いざら溝の取入口がある。寛永元年庄内高辻帳に「三橋興野村」とみえ高一一六石余。貞享四年(一六八七)には草刈地の鷹尾たかお山の山札三枚を所有しており、米六升を納めた(「鷹尾山新古留帳」相馬文書)。享和三年(一八〇三)の家数四・人数二八(「村数家数人高控帳」斎藤文書)庄内要覧では免三ツ六分、家数五。旧記(日向川水害予防組合蔵)によると、三千石さんぜんごく堰・井皿堰守は天和二年(一六八二)荒田目あらため村勘右衛門、享和二年以後若王寺やこうじ村杉山三郎治が担当し、堰守給として五〇石を与えられた。

三ッ橋村
みつはしむら

[現在地名]上越市三ッ橋

上源入かみげんにゆう村の東に位置する。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図に「御料所此外□方分三橋村 中」とみえ、本納一〇六石一斗八升四合・縄高二七八石八升五合・家一二軒・六一人。天和三年郷帳では高四八三石三斗余。旧高旧領取調帳では四六八石三斗余が高田藩預所、一五石余は伊勢除地。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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