三ヶ日村(読み)みつかびむら

日本歴史地名大系 「三ヶ日村」の解説

三ヶ日村
みつかびむら

[現在地名]三ヶ日町三ヶ日

現三ヶ日町の中央に位置し、南は猪鼻いのはな湖に臨む。西は釣橋つりばし川を挟んで岡本おかもと村。古来からの物資集散地として浜名湖岸各地と舟運を通ずる湊で、村内を東西に横断する本坂通には三ヶ日宿が形成されていた。三ヶ日の語源については、往時毎月三日に市場が開かれたとの説がある。三日池は岡本寄りにある小さな池で、当村の長者が池の魚を捕るために三日間水をかき出したが水が尽きることがなく、地名由来伝承地となったという。建治三年(一二七七)四月一七日の浄心寄進状(大福寺文書)にみえる「在浜名神戸内大溝里六坪」に対応すると思われる条里遺構の片鱗釣橋川下流域に認められる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む