三上是庵墓(読み)みかみぜあんのはか

日本歴史地名大系 「三上是庵墓」の解説

三上是庵墓
みかみぜあんのはか

宝塔ほうとう寺墓地にある。是庵(一八一八―七六)は幕末動乱期の松山藩士。江戸に遊学して崎門学に精通し、綾部藩田辺藩に招聘されて各藩士の教育に貢献した。また、梅田雲浜とも交遊があり、王政復古運動に参加した。戊辰戦争に際し、速やかに封土を朝廷に返納し、他意のない真情を披瀝して陳謝すべしという恭順策を藩主松平定昭に建白し、政権返上の藩論を定めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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