綾部藩(読み)あやべはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「綾部藩」の意味・わかりやすい解説

綾部藩
あやべはん

江戸時代、丹波(たんば)国(京都府)何鹿(いかるが)、天田(あまだ)2郡のうち27か村を領有した藩。外様(とざま)。この地は江戸初期に福知山(ふくちやま)藩と幕領に属した。1633年(寛永10)九鬼隆季(くきたかすえ)が新たに綾部2万石に封ぜられて、翌1634年下市場(しもいちば)に城地を定めた。1650年(慶安3)の大火焼失、翌1651年改めて南方上野の台地に城館を築いた。以後九鬼氏は隆常(たかつね)、隆直(たかなお)、隆寛(たかのぶ)、隆貞(たかさだ)、隆祺(たかよし)、隆郷(たかさと)、隆度(たかのり)、隆都(たかひろ)、隆備(たかとも)と10代に及び、廃藩置県を迎えた。藩士は幕末に約200名余、城下町は本町以下6町で家数250軒前後であった。領内政治は郡奉行(こおりぶぎょう)の支配下に、町方に町年寄を、村方は7組に編成して大庄屋(しょうや)を置いた。藩財政の窮乏は1857年(安政4)すでに借財5万両に、さらに新規借用2811両を重ねたという。加えて再三の風水害飢饉(ききん)に苦しむ百姓は、1752年(宝暦2)の惣領強訴(そうりょうごうそ)をはじめしばしば一揆(いっき)を起こした。9代隆都は藩政改革を試み、佐藤信淵(のぶひろ)を招いた。藩校進徳館(のち篤信館)がある。

[中嶋利雄]

『『綾部市史』全3冊(1976~1979・綾部市)』『『新編物語藩史 第7巻』(1977・新人物往来社)』

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藩名・旧国名がわかる事典 「綾部藩」の解説

あやべはん【綾部藩】

江戸時代丹波(たんば)国何鹿(いかるが)郡綾部(現、京都府綾部市)に藩庁をおいた外様(とざま)藩。藩校は進徳館(のち篤信館(とくしんかん))。1633年(寛永(かんえい)10)、志摩(しま)国鳥羽藩の家督をめぐって弟と争っていた九鬼隆季(くきたかすえ)が当地に移封(いほう)され2万石で立藩した。隆季は61年(寛文(かんぶん)1)に弟の隆重(たかしげ)に500石分与して1万9500石となり、以後明治維新まで九鬼氏が10代続いた。4代隆寛(たかのぶ)の治世は50年に及び、1715年(正徳(しょうとく)5)に藩校進徳館を開き、漢学、筆道、習礼などを藩士子弟に学ばせた。9代隆都(たかひろ)は1840年(天保(てんぽう)11)に農政学者の佐藤信淵(のぶひろ)を招いて農村の復興に努めた。1871年(明治4)の廃藩置県により、綾部県を経て京都府に編入された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「綾部藩」の意味・わかりやすい解説

綾部藩
あやべはん

江戸時代,丹波国 (京都府) 何鹿 (いかるか) 郡におかれた藩。元和1 (1615) 年に別所吉治が但馬国内より2万石で転入したのに始る。吉治は,寛永5 (28) 年に酒色遊蕩にふけって,朝勤を怠ったという理由で除封された。代って同 10年に志摩 (三重県) 鳥羽の九鬼守隆の子隆季が2万石を分与されてこの地へ入封した。寛文1 (61) 年に隆季は弟隆重に 500石を分与し,残り1万 9500石で廃藩置県にいたった。本家の九鬼氏は摂津三田 (兵庫県) で廃藩置県にいたっている。外様,江戸城柳間詰。 (→三田藩 )

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デジタル大辞泉プラス 「綾部藩」の解説

綾部藩

丹波国、綾部(現:京都府綾部市)を本拠地とする外様藩。志摩国鳥羽藩の領地を弟と争った九鬼隆季(くきたかすえ)が国替えとなり、2万石で入封、初代藩主となる。以後、九鬼氏が領有。9代藩主の隆都(たかひろ)は、農政学者の佐藤信淵(のぶひろ)を招聘して藩政改革に挑んだ。

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