宝塔寺(読み)ホウトウジ

デジタル大辞泉 「宝塔寺」の意味・読み・例文・類語

ほうとう‐じ〔ホウタフ‐〕【宝塔寺】

京都市伏見区にある日蓮宗の寺。山号は、深草山じんそうざん。昌泰2年(899)藤原時平の創立で、初め極楽寺と称し真言宗に属したが、のち、日像により法華道場となった。天正18年(1590)日銀によって中興され、現寺号に改称。総門・多宝塔室町時代の建築。

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精選版 日本国語大辞典 「宝塔寺」の意味・読み・例文・類語

ほうとう‐じホウタフ‥【宝塔寺】

  1. 京都市伏見区深草宝塔寺山町にある日蓮宗の寺。山号は深草(じんそう)山。嘉祥年間(八四八‐八五一藤原基経創建。初め極楽寺と称し真言宗であったが、延慶三年(一三一〇)日像に帰依し法華道場に改宗。日像没後、鶴林院宝塔寺と改称。

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日本歴史地名大系 「宝塔寺」の解説

宝塔寺
ほうとうじ

[現在地名]伏見区深草宝塔寺山町

七面しちめん山の南西麓に所在する。日蓮宗。深草山と号し、本尊釈迦如来の左右に日像・日蓮両像を安置する。開山日像の荼毘所で、かつては鶴林かくりん院とも号した。「雍州府志」によれば、藤原基経が建立した真言宗極楽寺の僧良桂が、徳治二年(一三〇七)日蓮の法孫日像に帰依して日蓮宗に改宗したのに始まる。


宝塔寺
ほうとうじ

[現在地名]秋田市八橋字下八橋

八橋やばせ街道を土崎へ下り草生津くそうづ川を渡ったすぐ左手の小道にある。日蓮宗、塚原山と号し、本尊は釈迦牟尼仏。開山は日悟、寛永七年(一六三〇)の建立という。真言宗の寺院であったが、佐渡根本こんぽん寺の僧が来訪して日蓮宗に改宗、佐渡根本寺と同じ山号としたという。真言石仏数体が残るが、明治一九年(一八八六)の大火で記録を焼失


宝塔寺
ほうとうじ

[現在地名]松山市朝日ヶ丘一丁目

西にし山の麓にある。妙見山と号し、日蓮宗。本尊日蓮上人像。寛永年中(一六二四―四四)宇和郡法華宗の日善が日蓮の歯骨を持参したので、藩主蒲生忠知の家臣上坂勘解由はこの地に寺院を建立した(新編温泉郡誌)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「宝塔寺」の意味・わかりやすい解説

宝塔寺
ほうとうじ

京都市伏見(ふしみ)区深草宝塔寺山町にある日蓮(にちれん)宗の寺。山号は深草山(じんそうざん)。899年(昌泰2)摂政(せっしょう)関白藤原基経(もとつね)の嗣子(しし)時平(ときひら)が父の開運の旧地を卜(ぼく)して創立、極楽寺(ごくらくじ)と称して真言律の僧聖宝(しょうぼう)を開山に迎えたのに始まる。代々藤原氏の外護(げご)を得て栄え、道元も宇治に興聖寺を開く前は境内の安養院(あんにょういん)に住していた。その後まもなく、1294年(永仁2)日像(にちぞう)が日蓮の弟子としては初めて京都布教のため入京し、1307年(徳治2)時の当寺住持であった良桂(りょうけい)(第2代)を説伏して寺を日蓮宗に改めた。日像が1334年(建武1)妙顕寺を開いて京都に宗門の礎を築いた基はここにあり、日像をはじめ妙顕寺歴代住持はここに埋骨される。日像の廟所建立(びょうしょこんりゅう)ののちは鶴林院常寂寺(かくりんいんじょうじゃくじ)と称したが、応仁(おうにん)の乱、天文(てんぶん)の乱によって堂塔を焼失した。第8代日銀が1590年(天正18)から45年間にわたって本堂はじめ諸堂を再興して宝塔寺と改称した。多宝塔、総門、本堂は国の重要文化財

[浅井円道]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宝塔寺」の意味・わかりやすい解説

宝塔寺
ほうとうじ

京都市伏見区にある日蓮宗の寺。山号は深草山。藤原基経の創建で,極楽寺という真言宗の寺院であったが,延慶3 (1310) 年住職の良桂が日像に帰依して法華の道場となり,寺号を鶴林院と改めた。天正 18 (1590) 年日銀が再興して宝塔寺と称し,さらに日政が重ねて修理した。多宝塔,四脚門は室町時代の建築物。

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