三俣戸庄(読み)みまたべのしよう

日本歴史地名大系 「三俣戸庄」の解説

三俣戸庄
みまたべのしよう

江戸時代の三俣みまた村辺りに比定される南都興福こうふく寺領。文永二年(一二六五)と思われる興福寺人夫召注文(内閣文庫本大乗院文書御参宮雑々)に「人夫召庄各中十箇日役、且先例也」として「三俣戸庄廿人内十三人参了」とある。観応元年(一三五〇)一〇月六日付御挙状等執筆引付(内閣文庫本大乗院文書)によれば、三俣戸庄から北朝崇光天皇即位後の大嘗会の役免除について解状(訴願状)が出されたので、興福寺の僧懐雅が先例の如く免除されるよう挙状をもって朝廷に願い出ている。

<資料は省略されています>

同引付には右と同じ形式で懐雅が添書して願い出たものがほかに五通ある。(一)同年同月の大嘗会の献米免除について大炊寮右大弁に宛てたもの、(二)文和三年(一三五四)三月五日付の当荘に対する濫妨停止について右京権大夫に宛てたも、(三)(三)同年八月二五日付の荘園三職にきて丹波守護仁木頼章に宛てたもの、(四)同年一〇月五日付の北朝後光厳天皇即位後の大嘗会の献米免除について左大弁宰相に宛てたもの、(五)同年同月二四日付の(四)の典役免除に関し左少弁に宛てたものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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