日本歴史地名大系 「三友河岸」の解説 三友河岸みともがし 埼玉県:本庄市新井村三友河岸[現在地名]本庄市新井烏(からす)川と利根川の合流点南岸付近にあった河岸場。字御陣場(ごじんば)付近に比定される。「風土記稿」の新井(あらい)村の項に、河岸について「江戸ヨリ水路四十四里程、三友河岸ト云、按ニ榛沢郡横瀬村大日堂天正十一年ノ棟札ニ三友・新井等ノ氏見ユ、共ニ其名ハ滅シテ読得ス、コノ河岸ノ名モコレ等ヨリ起リシニヤ」と記される。「都島連合地誌」によると、寛文一〇年(一六七〇)に宮下六右衛門なる者とその一族が新井村北西の荒蕪地を開墾し、岡上二郎兵衛による検地を経て本庄領台(だい)河岸と称され、当時屋敷一町三反余・畑二反余・竹藪三反余・除地三反余があったといわれる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by