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赤穂塩 あこうじお

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

赤穂塩
あこうじお

瀬戸内海沿岸の播磨(はりま)国(兵庫県)赤穂地方に産する塩。この地は奈良時代に東大寺の荘園(しょうえん)になり、すでに製塩に関する記録が散見される。1645年(正保2)浅野家の入部以来、本格的に開発され、1680年(延宝8)ごろから漸次、塩奉行(ぶぎょう)、塩値師その他を置いて諸機構を整えた。18世紀末(寛政期)には総面積が400余町歩にも達し、1823年(文政6)に石炭焚(だき)を始めた。塩田はデルタを利用した入浜(いりはま)式で、気候とともに自然条件が製塩に適し、良質塩を産して、市場を広げた。東北、関東、東海、近畿、九州方面へ移出し、とくに江戸、大坂が多かった。1953年(昭和28)に流下(りゅうか)式塩田へ、1967年にはイオン交換樹脂膜法に転換され、1971年には塩田が完全に姿を消した。[富岡儀八]
『富岡儀八著『日本の塩道』(1978・古今書院)』

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世界大百科事典内の赤穂塩の言及

【下り塩】より

…開府当初の江戸の塩需要は下総行徳,武蔵大師河原など江戸湾岸で産出される地塩(地廻り塩)に依存していたが,江戸の発展は地塩だけではとうてい需要を満たしえず,瀬戸内十州塩に依存せざるをえなくなった。瀬戸内塩は元和(1615‐24)ころから江戸に流入しはじめるが,初めは阿波斎田塩,播州荒井塩,同赤穂塩が中心であった。武州川越の商人,榎本弥左衛門の覚書《万之覚》によると1652年(承応1)11月28日から12月5日までに江戸に入津した塩船は230艘で,そのうち100艘が荒井船であったといい,また当時,1年間に江戸に入津する塩船は250~300艘で,積荷は約50万俵であった。…

【塩廻船(塩回船)】より

…1艘の積載量は2斗5升俵で5000~6000俵,多いのは7000~8000俵にのぼっている。明治以降の例をあげると,1897年ころ関東行きの赤穂塩の廻船は,赤穂船27艘,浦賀船23艘,紀州船5艘,東京船4艘となっている。また尾張国知多半島の野間(愛知県知多郡美浜町野間)は著名な塩廻船の根拠地で,野間伊藤家の塩廻船をみると,幕末,江戸方面と瀬戸内を年4~5回往復している。…

※「赤穂塩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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