20世紀日本人名事典 「三吉米熊」の解説
三吉 米熊
ミヨシ ヨネクマ
明治〜昭和期の教育者 小県蚕業学校初代校長;上田蚕糸専門学校教授。
- 生年
- 万延1年6月10日(1860年)
- 没年
- 昭和2(1927)年8月31日
- 出生地
- 長門国(山口県)
- 学歴〔年〕
- 勧業局農学校農芸化学専攻科(現・東京農工大学)〔明治14年〕卒
- 経歴
- 長州藩士の家に生まれる。廃藩後父に伴われて上京、明治協庠社に入る。明治11年勧業局農学校に入学、農芸化学専攻科に進み、14年卒業して長野県勧業課農務掛となる。西ケ原蚕業講習所で修業後、北信の各地で蚕業技術を伝習した。22年農商務省から蚕業事情調査のためイタリア・フランスに派遣され、2年余で帰国、25年小県蚕業学校(現・上田東高)初代校長となり死去するまで生涯を同校の教育に掛けた。蚕体病理・生理・土壌・肥料などの学科を担当、生徒の実習指導に当たり、学校での事績報告を毎年発行し蚕業界から注目される。また地方の蚕業家のために養蚕法の標準を示し、天気予報を出した。この間、41年の上田蚕糸専門学校(現・信州大学繊維学部)設立に尽力し、同校教授を兼任。一方、微粒子病研究団体の設立に努めて学会と養蚕家に貢献した。著書に「伊仏産業事情」「通俗蚕業講話」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報