三大寺廃寺(読み)さんだいじはいじ

日本歴史地名大系 「三大寺廃寺」の解説

三大寺廃寺
さんだいじはいじ

[現在地名]米原町枝折

塚原つかはら古墳群に重なって所在する七世紀後半から八世紀前半にわたる寺跡。西側を丹生にう川、北側を天野あまの川が流れ、遺跡天野川の間を旧中山道が東西に走る。寺域については不明だが、字寺尾塚原てらおつかはらから多量の瓦が出土しており、ここを中心に広がると考えられる。この付近に随泉ずいせん寺・福遊ふくゆう寺・多聞たもん寺とよばれる寺があったと伝えられることから遺跡名が付けられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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