三庄村(読み)みつのしようむら

日本歴史地名大系 「三庄村」の解説

三庄村
みつのしようむら

[現在地名]因島市三庄町

土生はぶ村の東、備後灘に東面し、北は椋浦むくのうらに接する。中世因島庄の一部で、後白河院遺領として皇女式子内親王(常光院)伝領された。建治二年(一二七六)八月日付の備後国御調郡内諸庄園領家地頭注文(教王護国寺文書)に「三津庄」として田数一〇町一反一九〇歩とあり「地頭右近将監」とある。三津みつ庄は地頭請の地で、地頭代の非法により常光院との間で訴訟が起こされ、正安三年(一三〇一)五月一二日付で和与が成立している(「六波羅下知状案」東寺百合文書)。建武年間(一三三四―三八)には因島庄地頭方の一つとしてなか庄・重井しげい庄とともに浄土じようど(現尾道市)領とされたが、三津庄分は公田一三町一四〇歩で加徴米六石五斗一升九合五勺、新田四町一反二八〇歩で分米九石四斗九升二合八勺二才、名々塩四四二俵一斗二升三合、色々銭納物二三貫三〇〇文、そのほか公畠二一町七反で加徴麦一〇石八斗五升を負担した(建武四年一〇月日付「浄土寺領因島地頭方年貢注文」浄土寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報