三手村(読み)みてむら

日本歴史地名大系 「三手村」の解説

三手村
みてむら

[現在地名]岡山市三手

足守あしもり川の左岸原古才はらこさい村の西に位置する。東を松山まつやま往来南東から北西に抜ける。慶長六年(一六〇一)木下家定に三手村四二〇石余が与えられた(「徳川家康宛行状」足守木下家文書)。寛永備中国絵図も同高、足守藩領。幕末まで同藩領。貞享二年(一六八五)の高四八五石余、家数五二・人数三〇一(「賀陽郡・上房郡寺社改帳」総社市史編さん室蔵)。天保八年(一八三七)には高四八九石余・反別二八町余、家数四六・人数二〇六、うち男一二〇・女八六、牛一五・馬二(「賀陽郡御道筋諸品書上帳」足守木下家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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