三本柳村(読み)さんぼんやなぎむら

日本歴史地名大系 「三本柳村」の解説

三本柳村
さんぼんやなぎむら

[現在地名]都南村三本柳

津志田つしだ村の南、北上川沿いの平坦地に位置。東対岸はかど(現盛岡市)手代森てしろもり村、南は東見前ひがしみるまえ村、西は西見前村永井ながい村。奥州街道が通る。延宝五年(一六七七)の検地名寄帳(三重文書)によれば高五一七石余、うち田三五四石余・畑一六三石余。同帳にみえる高橋四郎左衛門新田一石一斗余は、鹿妻穴かづまあな堰の延長によって成立した野竿新田とみられる(鹿妻穴堰開発史)。元禄十郡郷帳では見前村に入るとある。享保六年(一七二一)の田畑改帳(都南村誌)によれば高六七七石余、田三八町三反余・畑四二町七反余。


三本柳村
さんぼんやなぎむら

[現在地名]横手市三本柳

南は赤坂あかさか村、東は八幡やわた村に接する。大森街道筋の村で、正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に三本柳の村名がみえる。享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」に枝郷として、寺田てらた村三軒、助太郎小屋すけたろうごや村五軒、六郎小屋ろくろうごや村六軒がある。


三本柳村
さんぼんやなぎむら

[現在地名]余目町廻館まわたて

廻館村南西にある。寛永元年庄内高辻帳に三本柳村亥ノ興とみえ、高一〇八石余。慶安二年(一六四九)から松山藩領。延享三年(一七四六)の狩川通大概手控帳(高橋文書)では高二六四石余、免五ツ三分五厘。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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