津志田村(読み)つしだむら

日本歴史地名大系 「津志田村」の解説

津志田村
つしだむら

[現在地名]都南村津志田

北上川右岸の平坦地に位置し、西は永井ながい村・飯岡いいおか新田、北は向中野むかいなかの(現盛岡市)、南は三本柳さんぼんやなぎ村。中央を南北に奥州街道が通り、向中野村境一里の川久保かわくぼには一里塚があり、同地で志和稲荷しわいなり街道を分岐。津志田村と津軽町つがるまち村の二村で把握される場合が多いが、文化六年(一八〇九)に合併され津志田村一村となったとされる(享和三年仮名付帳)。奥州街道沿いに津志田町が成立していた。


津志田村
つしだむら

[現在地名]甲佐町津志田

東は緑川を挟んで糸田いとだ村に対し、西は中山なかやま村、北西上田口かみたぐち村、南は世持よもち村に接する。「拾集昔語」では早川そうがわ城主の七半済三〇〇余町のうち、五五町の村々の一つである。天正年間(一五七三―九二)には阿蘇大宮司惟豊の家臣北里小左衛門惟政が在城した津志田城が当村にあったと伝える(国誌)。しかし、この頃阿蘇氏に代わって島津氏の勢力が当地に及び、天正一三年に家老の宮崎城(現宮崎市)城主上井覚兼の所領となった(「覚兼日記」同一四年九月二五日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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