日本歴史地名大系 「三江道・米地」の解説 三江道・米地みえじ・めいじ 兵庫県:養父郡養父町三江道・米地円山(まるやま)川支流米地川の流域(米地谷)の総称。古代・中世には三江道・三江路と記して「みえじ」あるいは「みえみち」といい、その後「めいじ」に変化して米地の表記を当てたとも考えられよう。近世前期には米地村の一村で高付され、のちに口米地(くちめいじ)・鉄屋米地(かなやめいじ)・中米地(なかめいじ)・奥米地(おくめいじ)の四ヵ村に分立した。康治二年(一一四三)八月一九日の太政官牒(安楽寿院古文書)に記される水谷(みずたに)神宮寺領の四至のうちに「東限三江道并滝」とみえる。応永七年(一四〇〇)五月二八日の太田垣通泰書状写(瓜生原文書)には「三江路金屋鋳物師等荷物」とあり、当地金屋(近世の鉄屋米地村にあたる)を本拠地とする鋳物師が浅間(あさま)庄(現八鹿町)で荷物を差押えられたため、但馬国守護に訴え出ている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by