三津寺庄(読み)みつてらのしよう

日本歴史地名大系 「三津寺庄」の解説

三津寺庄
みつてらのしよう

山城石清水いわしみず八幡宮の庄園で、御津みつ宮付近に比定される。承久二年(一二二〇)一二月日付石清水八幡宮検校祐清譲状(石清水文書)に、壇殿女房なる女性に譲った分の一つとして「摂津国三津寺 畠三反在八幡河合」とある。「八幡河合」は三反の畑が所在した場所の地名であるが、この地名は御津宮と関連して起こったものであり、すでに承久以前から同宮が石清水八幡宮の末社として勧請されていたことを意味する。その後しばらく当庄に関する史料はみえないが、応永二二年(一四一五)八月日付三津寺庄田畠注進目録(同文書)によると、当庄は早田一町四反・晩田四町余・一色田一町一反・畑三町四反で、仏神田一町四反余・仏神畑四反余・仏神灯油屋敷一八ヵ所があったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android