朝日日本歴史人物事典 「三浦庄司」の解説
三浦庄司
生年:享保9(1724)
江戸中期の遠江国(静岡県)相良藩士。備後国福山藩(広島県福山市)領蘆田郡府川村(同府中市)出身。田沼家用人三浦五左衛門養子。老中田沼意次用人として権勢を振るう。天明6(1786)年6月田沼は,全国の農民・町人らから御用金を取り立て,それを資本に諸大名に貸し付けを行おうとした。この立案には三浦が介在していたが,諸大名の激しい反発を浴び撤回を余儀なくされ田沼失脚の原因となり,三浦は田沼家から暇をだされた。また田沼の用人であることから,兄山本藤右衛門,弟弁助は福山藩主阿部正倫に重用されたが,田沼失脚により追放。田沼政権の政策立案に深くかかわった人物。<参考文献>山田忠雄「田沼意次の失脚と天明末年の政治状況」(『史学』43巻1・2号),『広島県史』通史編近世2巻
(安藤優一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報