日本大百科全書(ニッポニカ) 「三浦流」の意味・わかりやすい解説
三浦流
みうらりゅう
古流柔術流派の一つ。流祖は、1625年(寛永2)ころ江戸・麻布(あざぶ)の国昌寺(こくしょうじ)において明(みん)人陳元贇(ちんげんぴん)(1585―1671)から中国拳法(けんぽう)を習った三士のうちの1人、三浦与次右衛門義辰(よじえもんよしとき)(生没年不詳)で、元贇直伝の唐拳(とうけん)81手に新しくくふうを加えて一流をたてたという。義辰は小田原北条氏の旧家臣で、浪人して江戸に住み、のち諸国を遊歴して西国で没したと伝えられ、楊心(ようしん)流系図にみえる大江千兵衛の門人、三浦次郎兵衛永政(じろべえながまさ)に比定する説もある。その後の伝系もさだかでないが、寛政(かんせい)年間(1789~1801)義辰の第18世と称する高橋玄門斎展歴(たかはしげんもんさいのぶひろ)(1750―1838)が江戸・小石川に道場を開いてこの流を再興、「日本柔和躰(にっぽんじゅうわたい)・本伝三浦(ほんでんみうら)流」と称し、名声を博した。
[渡邉一郎]