朝日日本歴史人物事典 「三浦貞連」の解説
三浦貞連
鎌倉・南北朝時代の武将。父は時明,母は大多和行秀の娘。初名貞明,通称六郎左衛門尉。因幡守。宝治合戦(1247)で北条・安達氏により三浦宗家が滅ぼされたのち,和泉守護佐原義連の一流が同氏を継ぎ,元弘の討幕には一族を挙げて加わった。しかし建武2(1335)年の中先代の乱で兄時継が北条時行方についたため,室町幕府は貞連を登用。佐々木仲親と共に侍所頭人に任ぜられた。建武4/延元2年には甥の高継が頭人となったが,その後の三浦氏は振るわず動静も明らかでない。
(今谷明)
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