三浦雄一郎(読み)ミウラユウイチロウ

デジタル大辞泉 「三浦雄一郎」の意味・読み・例文・類語

みうら‐ゆういちろう〔‐ユウイチラウ〕【三浦雄一郎】

[1932~]プロスキーヤー・冒険家青森の生まれ。昭和39年(1964)にイタリアキロメーターランセに日本人として初めて参加し、当時の世界記録樹立。昭和41年(1966)富士山でのスキー直滑降成功、昭和60年(1985)には七大陸最高峰からの滑降を達成。平成25年(2013)80歳で自身3度目のエベレスト登頂に成功し、世界最高齢記録を更新した。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

知恵蔵 「三浦雄一郎」の解説

三浦雄一郎

1932年10月12日、青森県青森市生まれのプロスキーヤー、冒険家、登山家。ミウラ・ドルフィンズ代表取締役、クラーク記念国際高等学校(北海道深川市が本部の単位制・通信制高等学校。現在、全国にキャンパスを構え、総生徒数約1万人)校長、全国森林レクリエーション協会会長。長男・三浦雄大は競技スキーヤー、次男・三浦豪太はオリンピック2度出場のフリースタイルスキー・モーグル選手。
2013年5月23日に80歳で3度目のエベレスト登頂を成し遂げ、最高齢のエベレスト登頂者となる(13年6月5日時点)。山岳スキーの草分けともいえる父・三浦敬三の影響でスキーを始める。26歳の時、職を辞し挑んだ全日本スキー選手権青森県予選で優勝するも、全日本選手権への青森県からの派遣人数を巡りスキー連盟関係者と対立し、アマチュア資格を剥奪(はくだつ)され、アマチュアスキー界から永久追放となった。
以降は日本でのプロスキーヤーの先駆者として活躍。1962年に世界プロスキー選手権に出場し、世界ランキング8位に。64年には、イタリア・キロメーターランセ(スピードスキー。急勾配斜面の直滑降100メートル区間での平均時速を競うスキー競技)に日本人として初めて参加し、時速172.084キロメートルの世界新記録を樹立(当時)した。
66年、パラシュートをブレーキとして使い、富士山をスキーで直滑降した。この時の映像からパラグライダーが生まれたといわれている。70年に、エベレスト・サウスコル(8000メートル・世界最高地点)からスキー滑降を成し遂げ、その記録映画「THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST」でアカデミー賞(長編記録映画部門)を受賞。85年、世界7大陸最高峰のスキー滑降を全て達成。
2003年には、次男・三浦豪太とともにエベレスト登頂し、当時の世界最高年齢登頂記録(70歳7カ月)を樹立、ギネスブックに掲載される。これが日本人初の親子同時登頂となる。08年、75歳で2度目のエベレスト登頂。10年に、オーストリア・アルベルト・シュバイツァー協会よりアルベルト・シュバイツァー章受章。13年には、顕著な冒険家を表彰する三浦雄一郎記念日本冒険家大賞の創設が発表された。

(菘(すずな)あつこ  フリーランス・ライター / 2013年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三浦雄一郎」の解説

三浦雄一郎 みうら-ゆういちろう

1932- 昭和後期-平成時代のプロスキーヤー。
昭和7年10月12日生まれ。39年イタリアのキロメーターランセで時速172.084kmの世界記録を樹立。41年富士山直滑降,45年世界初のエベレスト大滑降に成功。53年から60年にかけ7大陸最高峰のスキー滑降を達成した。平成4年クラーク記念国際高校長に就任。25年80歳でエベレスト登頂。青森県出身。北大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「三浦雄一郎」の解説

三浦 雄一郎 (みうら ゆういちろう)

生年月日:1932年10月12日
昭和時代;平成時代のプロスキーヤー;アドベンチャー・スキーヤー

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android