三瀬城跡(読み)みつせじようあと

日本歴史地名大系 「三瀬城跡」の解説

三瀬城跡
みつせじようあと

[現在地名]三瀬村大字三瀬字宿

伝えによれば、文永元年(一二六四)三瀬山一帯を最初に掌領した野田周防守(大江清秀)の子大江房儀は、山中やまなかの地にあった館を宿しゆくの地に移し、その東北にあるじよう(五六〇メートル)要害の地に城郭を構えたとされ、後世これを三瀬城という。房儀の子家房を経て孫の長門守房家は入道して浄安と号し、応永一六年(一四〇九)に姓を三瀬と改めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android