日本大百科全書(ニッポニカ) 「三瀬」の意味・わかりやすい解説
三瀬
みつせ
佐賀県北端、神埼(かんざき)郡にあった旧村名(三瀬村(むら))。現在は佐賀市三瀬村地区で、市の北東部を占める。旧三瀬村は、2005年(平成17)諸富(もろどみ)、大和(やまと)、富士(ふじ)の3町とともに佐賀市に合併。旧町域は脊振(せふり)山地にあり、福岡市早良(さわら)区に接する。嘉瀬(かせ)川(川上(かわかみ)川)の上流域にあり、西端に佐賀平野の水甕(みずがめ)、北山ダム(ほくざんだむ)がある。地域内には、北山ダムに流入する三つの主要な水系があり、花崗(かこう)岩の高原状山地に囲まれた小盆地が開ける。戦国期、山内(さんない)一円に勢力をもった神代氏(くましろうじ)の本拠地。江戸期、筑肥(ちくひ)国境要衝の地であった三瀬峠には、国道263号が通る。米作のほか、レタスなど高冷地野菜の栽培が近年目だち、干し柿(がき)なども知られる。脊振北山県立自然公園の一中心で、北山ダム周辺一帯の観光開発が進む。1986年(昭和61)三瀬トンネルが開通し、福岡市との関係がいっそう強まった。
[川崎 茂]
『『三瀬村誌』(1977・三瀬村)』