デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三熊花顛」の解説 三熊花顛 みくま-かてん 1730-1794 江戸時代中期-後期の画家。享保(きょうほう)15年生まれ。京都にすみ,とくに桜花の写生で知られた。伴蒿蹊(ばん-こうけい)と「近世畸人(きじん)伝」を企画し,挿絵を担当。続編は花顛が文を,妹の三熊露香が絵をかいた。寛政6年8月26日死去。65歳。加賀(石川県)出身。名は思孝。字(あざな)は介堂。通称は主計。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「三熊花顛」の解説 三熊花顛 没年:寛政6.8.26(1794.9.19) 生年:享保15(1730) 江戸中期の画家。露香の兄。名は思孝,字は介堂。長崎の画家大友月湖に学ぶが,竜虎や鳳凰など見もしないものを描いても仕方がないとして,日本特有の桜を描くことに専念する。俳人でもあった。『続近世畸人伝』全5巻(『東洋文庫』)を編む。 (安村敏信) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by