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伴蒿蹊 ばんこうけい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

伴蒿蹊
ばんこうけい

[生]享保18(1733).近江
[没]文化3(1806).7.25. 京都
江戸時代後期の歌人,国学者。本名は資芳。通称は庄右衛門。有賀長伯,武者小路実岳に和歌を学び,晩年には荷田春満に私淑した。歌人としては小沢蘆庵,西山澄月,慈延とともに「平安四天王」といわれていた。主著『国津文 (くにつふみ) 世々の跡』 (1774) ,『近世畸人伝』 (90) ,『閑田耕筆』 (99) ,『閑田次筆』 (1806) 。

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百科事典マイペディアの解説

伴蒿蹊【ばんこうけい】

江戸後期の国学者。名は資芳。別号閑田子。近江(おうみ)の人。京都で武者小路実岳(さねたか)に歌文を学ぶ。和歌に長じ,小沢蘆庵,澄月,慈延とともに平安四天王の一人。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伴蒿蹊 ばん-こうけい

1733-1806 江戸時代中期-後期の歌人,文章家。
享保(きょうほう)18年10月1日生まれ。近江(おうみ)八幡(滋賀県)の豪商。36歳で家督をゆずる。武者小路実岳(さねおか)にまなび,古今調の歌をよくした。歌集に「閑田詠草」など。和文にもすぐれ「近世畸人(きじん)伝」「国津文(くにつぶみ)世々の跡」などがある。文化3年7月25日死去。74歳。京都出身。名は資芳(すけよし)。別号に閑田子(かんでんし)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

伴蒿蹊

没年:文化3.7.25(1806.9.7)
生年:享保18.10.1(1733.11.7)
江戸中期の歌人,和文作家。幼名富二郎,名資芳,号閑田子,閑田廬。蒿蹊は号。京三条高倉西町の豪商伴弥兵衛家に生まれる。本家の伴資之の養子となったが,実父母を相次いで失い,実家は断絶,以後も妻に相次いで先立たれ,実子を得ないなど,家庭的には不幸であった。明和5(1768)年薙髪隠居し,悠々自適の生活に入る。蒿蹊が文芸の世界に遊ぶことができた理由はひとえに,その経済的な余裕にある。また伴家の代々には北村季吟に歌を学ぶような好学の風が伝統としてあったので,蒿蹊の素養は十分に培われていた。武者小路実岳に師事。実岳没後は特に師に就かず,己の好む所を楽しむ。京の文人との交流は繁く,自らも和文の達人として高く評価されるに至る。小沢蘆庵上田秋成との交渉は有名。蒿蹊の名を最も高からしめた『近世畸人伝』の達意の文章にみられる通り,その本領は和文にあった。和文の文体論として価値の高い『国文世々の跡』や和文集『閑田文草』,随筆『閑田耕筆』などがあり,歌集に『閑田百首』『閑田詠草』などがある。当時の堂上歌人よりも高く和歌和文の才を称せられるほどの実力者であったが,現在必ずしも正当な評価を得ているとはいい難い。<参考文献>宗政五十緒編『近世畸人伝・続近世畸人伝』,清水勝「関西大学本『伴氏系図』と伴蒿蹊」(『近世文芸』40号),風間誠史『伴蒿蹊集』

(久保田啓一)

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世界大百科事典 第2版の解説

ばんこうけい【伴蒿蹊】

1733‐1806(享保18‐文化3)
江戸後期の歌人,文章家。名は資芳(すけよし),通称は庄右衛門。京都に生まれ,近江の八幡(はちまん)に本店がある商家の主人となる。36歳のとき家督をゆずり,和歌,和文の制作活動をもっぱらにする。歌学は武者小路実岳に学ぶ。寛政期(1789‐1801)の地下(じげ)の和歌四天王の一人。家集に《閑田(かんでん)詠草》《閑田文草》がある。《近世畸人伝》は彼の代表作。《閑田耕筆》《閑田次筆》は近世随筆中,優れた作。

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大辞林 第三版の解説

ばんこうけい【伴蒿蹊】

1733~1806) 江戸中・後期の国学者・歌人。京都の人。本名、資芳。初号を閑田子、剃髪して蒿蹊と改める。平安四天王の一人。著に家集「閑田詠草」「閑田文草」のほか「近世畸人伝」「国津文世々の跡」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

伴蒿蹊
ばんこうけい
(1733―1806)

江戸中期の歌人、文章家。近江八幡(おうみはちまん)(滋賀県)出身の京都の商家に生まれ、本家の八幡の伴庄右衛門(しょうえもん)家を継ぐ。名は資芳(すけよし)。別号閑田子(かんでんし)。1768年(明和5)36歳で養子資要(すけかね)に家督を譲り剃髪(ていはつ)した。洛東(らくとう)の岡崎、また三十三間堂付近などに住んだ。歌人としては武者小路実岳(むしゃのこうじさねおか)に学んで、寛政(かんせい)期(1789~1801)京都地下(じげ)歌人四天王の1人と称せられた。小沢蘆庵(ろあん)、上田秋成(あきなり)など当時の有名な歌人や文人と親交があった。淡泊な詠みぶりで古今調の歌をよくし、家集に『閑田詠草』がある。文章家としては当時第一で、和文集に『閑田文草』があり、また『近世畸人伝(きじんでん)』、随筆『閑田耕筆』『閑田次筆』など著書も多い。[宗政五十緒]
 ながむればいづくの花もちりはてて霞(かすみ)に残る春の色かな
『『閑田耕筆』(『日本随筆大成 第一期18』所収・1976・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の伴蒿蹊の言及

【近世畸人伝】より

…近世後期の伝記。伴蒿蹊(ばんこうけい)著,三熊花顚(みくまかてん)画。続編は三熊花顚原著,蒿蹊加筆完成。…

※「伴蒿蹊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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