三田神社(読み)みたじんじや

日本歴史地名大系 「三田神社」の解説

三田神社
みたじんじや

[現在地名]上野市三田

浅子(あさこ)川右岸の山麓にあり、祭神牛頭天王。国府(こう)天王・三田天王、また八雲(やぐも)神社と称されたが、明治二九年(一八九六)国府神社、同四〇年現社名となる。貞治三年(一三六四)と記す「十楽庵記」は「国府の天王は河合のみやしろよりこの比、うつしまつりて、其神宮寺は今出川左府の久しくふちしたまひしわらはの乙国丸がかしらおろしなん」と遷座・神宮寺について記すが、「河合のみやしろ」は式内社藪田(やぶた)神社に比定されている。大永二年(一五二二)七月一三日の僧賢海寄進状(続宝簡集)によれば、伊賀国三田天王宮北之坊の住持賢海が高野山御影堂に「弘法大師御筆五大明王像」一軸を寄進しているが、北之坊については不明である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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