デジタル大辞泉 「三秋の思い」の意味・読み・例文・類語 さんしゅう‐の‐おもい〔サンシウ‐おもひ〕【三秋の思い】 《「詩経」王風・采葛の「一日見あわざれば三秋の如し」から》1日会わないと3年間も会わないでいるような思いがすること。待ちこがれる気持ちを表す。一日千秋の思い。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「三秋の思い」の意味・読み・例文・類語 さんしゅう【三秋】 の 思(おも)い ( 「詩経」の「一日不レ見如二三秋一兮」による ) 一日会わないでいると三年も会わないでいるように思うこと。つよく待ちこがれる気持にいう。一日三秋。[初出の実例]「前日、書を上る後、命を待の日の長き、一刻信に三秋の思を為す」(出典:江戸繁昌記(1832‐36)三) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本大百科全書(ニッポニカ) 「三秋の思い」の意味・わかりやすい解説 三秋の思いさんしゅうのおもい 思慕の情の切なることのたとえ。「一日三秋」ともいい、1日会わなければ三秋も会わないように思うとの意で、「三秋」とは旧暦7、8、9の秋3か月の称とも、3年の称ともいう。また「一日千秋」ともいうが、この場合の「千秋」は1000年をいう。『詩経』「王風采葛篇(さいかつへん)」に、「彼の簫(しょう)を采(と)る(恋をするの意)、一日見ざれば三秋の如(ごと)し」などとある。[田所義行] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例