江戸繁昌記(読み)えどはんじょうき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「江戸繁昌記」の意味・わかりやすい解説

江戸繁昌記
えどはんじょうき

江戸後期の漢文戯作(げさく)。寺門静軒(てらかどせいけん)著。5編5冊。1832~36年(天保3~7)刊。さらに第6編は『江戸繁昌後記青楼之巻(せいろうのまき)』として41年刊。また第5編を書き継いだ『江戸繁昌後記』は初編・2編が78年(明治11)に刊行。浪人儒者の生活の資とするために書き始められた本書は、相撲(すもう)、吉原、両国烟火(はなび)といったぐあいに江戸の世俗繁華を漢文で戯(ざ)れ書きするという新しい試みに大当りをとるが、作者生まれつきの皮肉な目と批判精神により、江戸期には希有(けう)の現実風刺の文学ともなり、そのために初編・2編がまず1835年に発禁処分を受け、懲(こ)りずに3編以下を刊行したため、天保(てんぽう)の改革(1841~43)にあたって作者はついに武家奉公御構(おかま)いの処分を受け、現実風刺の徹底した『江戸繁昌後記』は明治の新政府の下でなければ刊行しえないこととなった。幕末・明治期には本書の評判に倣って、「繁昌記もの」とよばれる一分野ができたほどである。

中野三敏

『朝倉治彦・安藤菊二校注『江戸繁昌記』全3巻(平凡社・東洋文庫)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「江戸繁昌記」の意味・わかりやすい解説

江戸繁昌記
えどはんじょうき

江戸の地誌。6巻。江戸の儒者寺門 (てらかど) 静軒著。天保2 (1831) 年刊。爛熟期の江戸市中の繁盛光景を相撲,吉原,両国花火など数十項に分けて俗体の漢文で記述。幕末に流行した繁昌記ものの元祖。風俗史料として貴重だが,同 12年風俗壊乱として発禁。『百万塔』に所収

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