日本歴史地名大系 「三納代村」の解説 三納代村みなしろむら 宮崎県:児湯郡新富町三納代村[現在地名]新富町三納代日置(へき)村の南西に位置し、村のほぼ中央を鬼付女(きづくめ)川が流れる。南は富田(とんだ)村。御苗代(みなわしろ)村(日向地誌)・ミノフ代(しろ)(湯地家文書)とも記された。南北に豊後街道が通る。高鍋藩領で、新納(にいろ)七郷のうち三納代郷は当村一村で構成された。天正年間(一五七三―九二)に通用した日向国五郡分帳に三納代三〇町とみえる。慶長一〇年(一六〇五)の新納院三納代村之内坪付帳(森家文書)には町屋敷門・西福寺門・牛原門・弁差名門・小城ノ門の門名がみえる。寛永一五年(一六三八)の高鍋藩人給帳には諸郷催司の一人として三石扶持の三納代の九郎兵衛の名がみえる。寛文四年(一六六四)の高鍋藩領地覚(隈江家記)では高八八二石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by