日本大百科全書(ニッポニカ) 「高鍋」の意味・わかりやすい解説
高鍋(町)
たかなべ
宮崎県中部臨海、児湯郡(こゆぐん)にある町。1901年(明治34)町制施行。1938年(昭和13)上江(うわえ)村と合併。古くは財部(たからべ)と称し、江戸時代に高鍋に改めた。小丸川(おまるがわ)の川口にあり、川沿いの沖積平野と背後の広い洪積台地とからなる。JR日豊(にっぽう)本線、国道10号、東九州自動車道が通り、高鍋インターチェンジがある。北部洪積台地の南端には国指定史跡持田古墳群(もちだこふんぐん)があり、総数は80余基を数える。中世は荘園(しょうえん)新納院(にいろのいん)に属し、土持(つちもち)、伊東、島津(しまづ)氏を経て江戸時代は高鍋藩秋月(あきづき)氏3万石の城下町であった。なお高鍋藩は飛び領地として櫛間(くしま)(現、串間(くしま)市)をも領有した。児湯郡の中心で、商業が盛ん。台地上では畑作、畜産も展開する。高鍋(舞鶴(まいづる))城跡、城下町のおもかげをとどめる武家屋敷が町内に残る。面積43.80平方キロメートル、人口1万9922(2020)。
[横山淳一]
『『高鍋町史』(1987・高鍋町)』