新富町(読み)しんとみちよう

日本歴史地名大系 「新富町」の解説

新富町
しんとみちよう

面積:六一・七〇平方キロ

児湯郡の南端に位置する。東は日向灘を望む隆起海岸平野が続き、西は西都市、北は高鍋たかなべ町、南は一ッ瀬川を境に宮崎郡佐土原さどわら町と接する。町域は東西約九キロ・南北約七キロ。宮崎平野のほぼ中央部にあり、町域北部は一ッ瀬川と小丸おまる川に挟まれた丘陵地帯。北西部を占める茶臼原ちやうすばる台地は標高一二〇―一二五メートル、同台地とは急崖で隔てられた三財原さんざいばる台地は鬼付女きづくめ川とその支流三財原川・大溝おおみぞ川・湯風呂ゆふろ川および日置ひおき川とその支流に浸食された谷がみられる。その南部には東側から南側にかけて海食崖がみられる標高約七〇―八〇メートルの新田原にゆうたばる台地が広がる。南東部には標高五七・四メートルの鬼付女峰があり、東側中腹の洞穴に岩観音が安置されているので観音山ともよばれる。

町域南部は一ッ瀬川の氾濫原からなる沖積平野で、自然堤防には集落が並び水田地帯となっている。北東部から南部へJR日豊本線と国道一〇号が並走し、瀬口せぐち地区は国道二一九号が通る。なお昭和四三年(一九六八)八幡はちまんから今別府いまびゆうまで国道一〇号新富バイパスが開通した。北部を主要地方道高鍋―高岡たかおか線が通り、南北に同宮崎―高鍋線が縦断する。町内にはJR日向新富駅がある。日向灘沿岸部は全国有数のアカウミガメの産卵地で、県の天然記念物に指定されている。新田原台地の縁辺部には瀬戸口せとぐち遺跡があり、旧石器時代・縄文時代の集石遺構などが確認されている。弥生時代の遺跡としてはあぶみ遺跡・新田原遺跡・川床かわとこ遺跡のほか、鬼付女西遺跡・園田そのだ遺跡などがある。鬼付女西遺跡では後期の竪穴住居跡二軒・周溝状遺構一基が検出され、園田遺跡では後期の竪穴住居跡と多量の弥生土器が出土した。古墳時代の墳墓としては前方後円墳の存在しない富田とんだ古墳群、総数二〇七基を数える新田原古墳群(うち前方後円墳二五基)などがあり、三納代みなしろ蔵薗くらぞの地下式横穴墓群は地下式横穴墓の分布域の北限に位置する。


新富町
しんとみちよう

現中央区新富一―二丁目にあたる。明治四年(一八七一)以降の町名。もと近江膳所藩本多氏屋敷などの武家地であったが、明治維新期に築地外国人居留地が開設されるのに伴い公収され、遊廓用地が雑居地域の北側に明治元年設定された。遊廓は新島原しんしまばら遊廓と名付けられ、廓内は八重咲やえざき町・千歳ちとせ町・青柳あおやぎ町・初音はつね町・松ヶ枝まつがえ町・呉竹くれたけ町・梅ヶ枝うめがえ町・桜木さくらぎ町・花園はなぞの町に細分された。だが遊廓は繁盛せず、同四年八月に閉鎖されて新吉原しんよしわら(現台東区)へ移転(築地居留地)。跡地に新富町一―七丁目が起立された。同五年九月、新富町六丁目、現京橋税務署の所在地に浅草猿若あさくささるわか(現台東区)から守田座が移転してきた。


新富町
にいとみちよう

[現在地名]和歌山市新留にんとめ

橋向はしむかい町から和歌川沿いに南に延びる町で、文政一三年(一八三〇)南・北二町に分けられた(「御触書写」道成寺文書)。同年の丁名増改時略図(田中家蔵)によれば南新富みなみにいとみ町・北新富町の総間数は一二二間余。和歌川の葭原であったが、元和八年(一六二二)中野島なかのしま村の江島藤六が藩許を得て和歌山城南の弁財天べんざいてん山の土砂を運び土地を造成した。


新富町
しんとみちよう

[現在地名]小樽市新富町・勝納町かつないちよう潮見台しおみだい一丁目

明治初年(同二年八月―同六年の間)より同三二年(一八九九)まで存続した町。信香のぶか町の南、勝納川右岸にある。明治五年頃までは当地一帯は人家七、八戸があるのみであったが、勝納川の舟運により同川河口の右岸に市街地が形成され、真栄まさかえ町・新富町が新設されたという(「小樽市史稿本」など)。同六年の「後志国地誌提要」に新富町とみえ、戸数三五(平民三四・寺一)、人口七一、寄留戸数二・人口一八。


新富町
しんとみちよう

大正一一年(一九二二)四月に成立した現在の室蘭市の町名。絵鞆えとも半島の中央部南側に位置し、南は太平洋に面する。町名の由来は大正三年設置の新富火災予防組合にちなむ。もとは室蘭区大字札幌通さつぽろどおりの一部で、リロマモイ、ポコイ、ポトフリナイ、「チヤラツナイ」の字名があり、「仏坂峠より製鋼所病院一の沢一帯」にあたり、同一一年四月に室蘭区新富町となった(「大字廃止及町名番地改称の件」昭和一六年室蘭市史)。同年八月の市制施行により室蘭市新富町となる。昭和四〇年(一九六五)住居表示が実施され、一―二丁目が設定され、一部を母恋北ぼこいきた町二―三丁目に移し、同町の一部を編入(第三次住居表示新旧対照表)


新富町
しんとみちよう

[現在地名]旭川市新富一条しんとみいちじよう一―三丁目・新富二条しんとみにじよう一―二丁目・新富三条しんとみさんじよう一―二丁目

昭和二六年(一九五一)三月に新設された町。昭和七年一一月旭川市に編入された旧永山村新旭川地区のうちで、同二六年の字名変更により新富町が設定され、同五九年二月の町名変更に伴い新富一条一―三丁目、新富二条一―二丁目、新富三条一―二丁目とされた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新富町」の意味・わかりやすい解説

新富〔町〕
しんとみ

宮崎県中部,一ツ瀬川河口北岸の町。 1959年新田村富田村が合体して町制。江戸時代は佐土原藩領。宮崎平野の中部を占め,キュウリ,トマトピーマンなどの施設園芸,畜産が行われる。町の西端の新田原 (にゅうたばる) には史跡の古墳群や自衛隊航空基地があり,町の中北部湯ノ宮には天然記念物の座論梅 (ざろんばい) がある。 JR日豊本線,国道 10号線が通じる。面積 61.53km2。人口 1万6564(2020)。

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