三軒屋村(読み)さんげんやむら

日本歴史地名大系 「三軒屋村」の解説

三軒屋村
さんげんやむら

[現在地名]大正区三軒家東さんげんやひがし一―五丁目・三軒家西さんげんやにし一―二丁目・泉尾いずお一丁目

現大正区の北東部にあり、東は木津きづ川を挟んで西側にしがわ(現浪速区)。もと木津川河口のひめ(日女島)まる島とよばれた小島で、木津川と尻無しりなし川の三角洲のうち最も早く陸地化した地の一という。木津村(現浪速区)住人中村(木津)勘助が開発したと伝え、勘助かんすけ島ともよばれた。村名の由来は、「蘆分船」に「此所いにしへは、島崎にて、人の家、まだ定まらず、纔に三軒の民屋を、たてならべしゆへ」とある。中村勘助による三軒屋村の開発は、慶長一五年(一六一〇)とする説や、正保四年(一六四七)以前の遠くない年次という二説がある。正保四年説は同年が村内にある八阪やさか神社の勧請年次であることによる(大阪市史)が、一方、慶長一〇年摂津国絵図に、西成にしなり郡内の村として、石高は不明であるが勘助島と推定できる「勘」が記載されており、慶長期の開発を推測させる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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