日本歴史地名大系 「大正区」の解説 大正区たいしようく 大阪府:大阪市大正区面積:九・一五平方キロ大阪市の南西部、木津(きづ)川と尻無(しりなし)川に挟まれる。北は岩崎(いわさき)運河を隔てて西区、東は木津川を挟んで浪速(なにわ)区・西成(にしなり)区、南と西は木津川河口部を挟んで住之江区、北西は尻無川を挟んで港区。区の北端部を国鉄大阪環状線・阪神高速西大阪線が通り、西部には尻無川河口を港口とするように築かれた大正内港がある。区名は大正四年(一九一五)市電九条(くじよう)(現西区)―高津(こうづ)(現南区)間の開通に伴い架設された大正橋にちなむ。当区域は近世初頭まで海で、北東部のみが木津川などによって形成されたデルタ地帯であった。開発の端緒は慶長(一五九六―一六一五)頃西成郡木津村(現浪速区)の中村(木津)勘助が、そのデルタ地帯(のちに勘助島と俗称)、現在の三軒家(さんげんや)地区を開発したのに始まる。以後、元禄(一六八八―一七〇四)頃から町人請負による新田開発が進み、元禄一五年の泉尾(いずお)新田をはじめとして弘化二年(一八四五)の千歳(ちとせ)新田(六条新田とも)まで一二の新田が開発された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大正区」の意味・わかりやすい解説 大正〔区〕たいしょう 大阪市南西部,大阪湾にのぞむ区。 1932年旧港区から分離して新設。旧淀川下流の分流尻無川と木津川に囲まれた低湿地に位置し,堀や運河がある。江戸時代から干拓による新田として泉尾,炭屋,北恩加島などが開発され,明治末期には南端部の船町,鶴町などが埋立てにより形成された。造船,鉄鋼,化学などの大規模工場が立地する重化学工業地区で,大阪湾岸臨海工業地域の一部をなす。第2次世界大戦後,臨海地域の地盤沈下対策として尻無川下流部を浚渫,拡幅して大正内港を建設,その浚渫土を地盤の盛上げに用いた。その残土などで「港が見える丘」として知られる昭和山 (35m) をつくり,千島公園とした。大正内港には鉄鋼埠頭があり,鉄材などを取扱う倉庫が並ぶ。阪神高速 17号西大阪線,国道 43号線が通じ,北部に JR大阪環状線大正駅がある。面積 9.43km2。人口 6万2083(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by