三郷屋村
みつごうやむら
[現在地名]長岡市三ッ郷屋町・三ッ郷屋一―二丁目・
北山三丁目・
大山一―二丁目・
大島本町四―五丁目・
大島新町四丁目
古正寺村の南、東の本大島村より西方関原新田に通じる道沿いに集落がある。才津村の枝郷であるが、本村が三島郡に属したのに対し、古志郡に属した。口碑によると王間治郎左衛門なる者が里長として当村の開発に努め、越後一揆に際しては藩主堀家の命を受けてその平治に尽し、また大川(信濃川)筋の治水に従事し、その徳望が高かったという。牧野家譜には元和六年(一六二〇)八月の大川大洪水に、柳島の流民百姓三軒と寺島村のうち三軒を田屋村南の一つ家島の本途地へ移し、三合屋と改めたとある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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