上三瀬村(読み)かみみせむら

日本歴史地名大系 「上三瀬村」の解説

上三瀬村
かみみせむら

[現在地名]大台町上三瀬

下三瀬村の西、宮川左岸にある。永禄一二年(一五六九)北畠具教は、織田信長との大河内合戦ののち隠居という形で上三瀬の地に館を構えた。当地は宮川水運の交通の要地であるが、上三瀬を本拠とした理由として「勢州四家記」は「何事ぞあらんとき大杉へ引入ぬべきためなり」と記している。文禄検地帳(徳川林政史蔵)に「上三瀬」と記されている。明治二年(一八六九)大指出帳(同蔵)によれば家数四五、人数二四二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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