日本歴史地名大系 「上三谷村」の解説 上三谷村かみみたにむら 愛媛県:伊予市上三谷村[現在地名]伊予市上三谷現伊予市北部の平地村で、大谷(おおたに)川が村の東側に沿い、やがて北部で村を横切って流れる。北は松山藩領の現伊予郡松前(まさき)町、東は上野(うえの)村、西南から西にかけ上吾川(かみあがわ)村・下三谷村に接する。条里制の跡を示す坪の内(つぼのうち)・七反地(しちたんじ)・七反畑(しちたんばた)などの小字が残っている。字大替地(おがいち)にある多喜(たき)寺(廃寺)跡に石造層塔があり、軸部に「建治三年丁丑七月十三日」の文字がある。多喜寺については「河野家譜」築山本新居某の条に、<資料は省略されています>とあって高市氏とかかわりのある寺であることを記している。 上三谷村かみみたにむら 三重県:名張市上三谷村[現在地名]名張市上三谷矢川(やがわ)村の西南にある谷間の集落。南にある龍口(りゆうぐち)村と地理的条件を同じくするようにみえるが、水系および交通路は矢川村に向かって開ける。名張には三谷と称する所が二ヵ所あり、蔵持(くらもち)村西の三谷を下三谷という。長承二年(一一三三)七月日の伊賀国矢川中村夏見条田畠立券案(東大寺文書)によれば「三谷寺領五町七段百二十歩」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by