日本歴史地名大系 「三谷寺」の解説
三谷寺
みたにじ
三谷寺
みたにでら
三谷集落北方の山の中腹にある。真言宗豊山派。清水山弘法院と号し、本尊は千手観音。古くは三谷山千手院弘法寺と称した。
「南路志」によれば、平城天皇の時、坂上田村麻呂が現世安民の御願として六〇余州に建立した寺の一で、本尊の千手観音は京都清水寺の本尊と同作と伝える。弘法大師が延暦年間(七八二―八〇六)と弘仁年間(八一〇―八二四)の二度にわたり当寺に立寄り、薬師如来と不動明王を刻み安置したと伝え、弘法大師を当寺中興とする。永禄二年(一五五九)長宗我部氏・本山氏の戦いの時に全焼、千手観音・薬師仏・不動明王は他所に難を避けたという。寛文五年(一六六五)土佐藩三代藩主山内忠豊が
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報