上刑部村(読み)かみおさかべむら

日本歴史地名大系 「上刑部村」の解説

上刑部村
かみおさかべむら

[現在地名]細江町中川なかがわ

西流する都田みやこだ川の下流域に位置し、東は祝田ほうだ村。中世刑部御厨(のち刑部郷)うちに含まれていた。天正一七年(一五八九)七月七日に徳川家が刑部百姓中に対して七ヵ条の条規を定めているが(「徳川家七ヵ条定書写」随庵見聞録)、慶長一六年(一六一一)には徳川頼宣の家臣三浦為春が「上刑部」二〇八石余を知行しており(「遠州知行割帳」和歌山大学紀州経済史文化史研究所蔵)、この間に刑部村が上・下に分村したのであろう。正保郷帳では田方五二三石余・畑方八三石余、浜松藩領、ほかに神明(現乎豆神社)領一五石・田米たまい寺領一石余がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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