上助任村(読み)かみすけとうむら

日本歴史地名大系 「上助任村」の解説

上助任村
かみすけとうむら

[現在地名]徳島市上助任町上吉野町かみよしのちよう三丁目・北田宮きたたみや一丁目、川内町かわうちちよう 北原きたばら

下助任村の西、吉野川(別宮口)南岸に面する。ほぼ中央で同川から新町しんまち川が南に分れ南流する。吉野川対岸板野いたの古川ふるかわ村との間に淡路街道の古川渡がある。建仁三年(一二〇三)一一月日の春日社政所下文案(春日大社文書)にみえる名東郡南助任の遺称地。慶長期(一五九六―一六一五)のものと推定される国絵図に上助任とみえる。正保国絵図には上助任村とあり、高四一七石余。寛文四年(一六六四)郷村高辻帳では田方二九石余・畠方三八八石余。これ以前、万治二年(一六五九)検地帳(徳島市加茂郷土誌)には高房たかぼう傍示分として畠反別二二町九反余・高一五一石余、川向分として畠反別四町余・高一七石余の計畠二六町九反余・高一六九石余とあり、延宝四年(一六七六)の検地帳(同書)によれば西分として畠反別一〇町五反余・高一一四石余、中分として畠反別一〇町余・高九六石余、東分として畠反別一〇町四反余・高六三石余、浜高房はまたかぼう分として畠反別九町七反余・高三二石余とある。天和二年(一六八二)の蔵入高村付帳では高四六九石余が蔵入地。文化三年(一八〇六)の名東郡中地高物成調子帳(四国大学凌霄文庫蔵)によれば佐古組に属し、一円蔵入地、高四四四石余、物成一五二石余、ほかに仮検地積り米の米六石余があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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