助任郷町
すけとうごうまち
[現在地名]徳島市吉野本町五丁目・上助任町・助任本町七丁目
徳島城下の北端、撫養街道と淡路街道の出口付近の古川渡や別宮渡周辺の往還沿いに形成された複数の町屋の総称。中心を占める万福寺の西側付近は西助任町・助任西町とも称された。
貞享三年(一六八六)一一月一八日の仕置書(元居書抜)によると、近年佐古・富田・助任の各口の郡(郷)分に家が建って商売をしているので、市中の商いが落ちこみ、諸職人など末々の者までも困窮しているとして郡分町屋の商売は差止め、家建設差止めの願いが新町・内町などから出された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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