上南城跡(読み)かみなじようあと

日本歴史地名大系 「上南城跡」の解説

上南城跡
かみなじようあと

[現在地名]蒲生町上南

上南集落の北、字つくだにあり、中世安部井氏の居城とされ、平井ひらい城ともいう。郭は日野川の段丘面を利用し東西約七五メートル、南北約八〇メートル。周囲には濠をめぐらし、南側には土塁の跡も認められる。近年濠跡を中心に発掘調査が行われ、郭の四方をめぐる幅五―八メートルの濠を確認し、濠の北西端では北方へ排水するための木の水門が発見された。築城年代は一三世紀以降と考えられ、濠の外からは室町時代末の美濃・瀬戸・信楽の陶器も出土している。東方、合戸ごうど誓安せいあん寺の元禄一二年(一六九九)の由緒書(同寺蔵)によれば第二次六角征伐の際、六角高頼家臣平井河内守頼国は明応元年(一四九二)将軍足利義材方の安部井和泉守宗行を討ったために、高頼から安部井の姓を与えられたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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