蒲生町
かもうちよう
面積:八〇・五〇平方キロ
姶良郡の西端に位置し、町域はほぼ三角形をなす。東は姶良町、北西は薩摩郡
答院町、西は同郡入来町、南は日置郡郡山町、鹿児島郡吉田町に接する。北端に矢止岳(六六九・七メートル)がそびえ、郡境の山並の高さは四〇〇―五〇〇メートル程度。三方を山に囲まれ、南部を東流する前郷川と東部を南流する後郷川は下流に大きな沖積平野を形成し、上久徳・下久徳の境で合流して蒲生川となる。町域内を川内―加治木線などの県道が通る。
遺跡は北部および東部に多く立地している。大原遺跡で旧石器時代の遺物が確認され、竹牟礼遺跡では旧石器時代終末期―縄文時代初めにかけての槍先形尖頭器が採集されている。縄文時代では竹牟礼遺跡で早期・晩期の土器などが出土し、大原・大峰前・楠ヶ宇都の各遺跡では早期の遺物が確認され、宮下遺跡では前期の土器や石器が採集されている。
蒲生町
がもうちよう
面積:三四・六六平方キロ
南北に二分された郡のうち、南方中央部に位置し、東は日野町、南は甲賀郡水口町、西は竜王町、北は八日市市に接する。日野川が北西に、同川支流佐久良川が西方に流れ、町の北西部で合流する。北端、南東部、南西部には古琵琶湖層からなる低い丘陵が続き、北西端は雪野山(三〇八・八メートル)の山裾となっている。集落は日野川、佐久良川がつくる沖積平野に点在する。町の東寄りを南北に近江鉄道本線が通じ、町域には三つの駅が設けられている。名神高速道路が北端を東西に走る。
木村古墳群のうち、五世紀中葉の築造である雨乞山古墳は県下最大級の方墳で、当地に権力者が所在したことをうかがわせる。また七世紀後半には有力氏族によって宮井廃寺・綺田廃寺・石塔寺などが創建されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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