コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

上原元秀 うえはら もとひで

2件 の用語解説(上原元秀の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

上原元秀 うえはら-もとひで

?-1493 室町時代の武将。
細川政元の近臣。文明14年丹波守護代となる。明応2年政元の命で安富元家らとともに将軍足利義材(よしき)(のちの義稙(よしたね))を捕らえ,畠山政長を殺害。さらに政元の近臣長塩弥六を殺し,自分も重傷を負う。これまでの行いを後悔し,願をたて押領地をかえすなどしたが,同年11月18日死去。姓は別に物部。通称は神六。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

上原元秀

没年:明応2.11.18(1493.12.26)
生年:生年不詳
室町時代の武将,室町幕府管領細川政元の内衆。賢家の子。姓は物部。神六,左衛門尉,左衛門大夫。文明14(1482)年,政元の丹波国守護代となる。長享1(1487)年,将軍足利義尚の近江出陣に政元と共に従軍。明応2(1493)年閏4月,政元の命で河内国出陣中の将軍足利義材(義稙),畠山政長を打撃。政長を敗死させ,義材を捕らえて上洛する。同年10月,同じく政元の内衆であった長塩弥六を殺害,自らも重傷を負った。これまでの悪行を悔やんだ元秀は,願を立て北野社,石清水八幡宮,鷹司家に押領地を返還,放逐した摂津住吉社権神主津守国則を帰宅させたが,ほどなく死去した。

(森田恭二)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

上原元秀の関連キーワード細川政国細川持之管領細川満元細川頼元三管領細川二階堂政元細川政之細川義春

今日のキーワード

カルテット

四重唱および四重奏。重唱,重奏の形態のなかで最も基本的なもので,声楽ではルネサンスの多声歌曲の形式であるシャンソンやフロットラから始り長い歴史をもつ。器楽も同様で,特に弦楽四重奏は室内楽の全レパートリ...

続きを読む

コトバンク for iPhone