朝日日本歴史人物事典 「上原元秀」の解説
上原元秀
生年:生年不詳
室町時代の武将,室町幕府管領細川政元の内衆。賢家の子。姓は物部。神六,左衛門尉,左衛門大夫。文明14(1482)年,政元の丹波国守護代となる。長享1(1487)年,将軍足利義尚の近江出陣に政元と共に従軍。明応2(1493)年閏4月,政元の命で河内国出陣中の将軍足利義材(義稙),畠山政長を打撃。政長を敗死させ,義材を捕らえて上洛する。同年10月,同じく政元の内衆であった長塩弥六を殺害,自らも重傷を負った。これまでの悪行を悔やんだ元秀は,願を立て北野社,石清水八幡宮,鷹司家に押領地を返還,放逐した摂津住吉社権神主津守国則を帰宅させたが,ほどなく死去した。
(森田恭二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報