コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

細川政元 ほそかわまさもと

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

細川政元
ほそかわまさもと

[生]文正1(1466)
[没]永正4(1507).6.23. 京都
室町時代中期の武将,管領 (在職 1486,87~?,90,94~1507) 。勝元の子。道号,雲関。法諱,宗興。足利義政の死後権勢をふるった畠山政長を,明応2 (1493) 年に倒し,11代将軍足利義澄を擁して幕府の中心となったが,養子澄之,澄元の家督争いにより,澄之派の香西元長らに殺された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

ほそかわ‐まさもと〔ほそかは‐〕【細川政元】

[1466~1507]室町後期の武将勝元の子。足利義澄を擁して将軍とし、管領となって幕政の実権を握った。養子とした澄之・澄元高国の家督争いにまき込まれ、澄之派に暗殺された。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディアの解説

細川政元【ほそかわまさもと】

室町後期の武将。勝元の子。1473年家督を相続,摂津など4ヵ国守護を継承。1493年将軍義材(よしき)を廃し,足利政知の子僧清晃(足利義澄)を将軍として自らは管領就任した。
→関連項目芥川城足利義稙宗祇畠山政長細川高国六角征伐

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

細川政元 ほそかわ-まさもと

1466-1507 室町-戦国時代の武将。
文正(ぶんしょう)元年生まれ。細川勝元の子。明応2年畠山政長をたおし,足利義澄(よしずみ)を将軍にたてて管領(かんれい)となり,実権をにぎる。修験道にこって政務を家臣にまかせ,養子細川澄之(すみゆき)・澄元の家督争いで澄之派の香西元長(こうざい-もとなが)らに永正(えいしょう)4年6月23日殺された。42歳。幼名は聡明丸。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

細川政元

没年:永正4.6.23(1507.8.1)
生年:文正1(1466)
室町時代の武将。幼名聡明丸。通称九郎。右京大夫。勝元の子。文明18(1486)年7月管領となる。いったんは畠山政長に譲るが,長享1(1487)年8月,延徳2(1490)年7月と短期間復職したのち,明応3(1494)年12月から永正4(1507)年に死去するまで同職を独占した。摂津,丹波,讃岐,土佐の守護。文明14年閏7月内衆薬師寺元長らに命じて摂津国人茨木氏を討ち,長享1年9月には将軍足利義尚の近江出陣に従った。同2年9月,京都で土一揆が起こり下京を焼いたが,これを鎮圧。延徳2年8月近江守護に補任され,翌年8月将軍足利義材(義稙)の近江出陣にも参陣している。実子がなく,延徳3年2月九条政基の子澄之を養子とし,文亀3(1503)年5月には澄元も養子として阿波から迎えられた。政元に実子がなかった理由として,その男色と修験道への没頭がいわれている。『政基公旅引付』には薬師寺元一が政元の男色を暴露した記事がみられ,修験道修行のため遊行に出ようとしたこともあった。明応2年閏4月,内衆の安富元家,上原元秀らを派遣して,河内の畠山基家討伐中の将軍義材と畠山政長を攻撃,政長を自殺させ義材を捕らえた。新将軍に義澄を擁立して権力を手中にするが,義材は脱出して抵抗を続けた。永正1年9月には内衆薬師寺元一の反乱が起こり,赤沢朝経も一時これに呼応。この乱は鎮圧したものの,澄之の擁立を図る内衆香西元長,薬師寺長忠らにより自邸で入浴中暗殺された。

(森田恭二)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ほそかわまさもと【細川政元】

1466‐1507(文正1‐永正4)
室町後期の武将。幼名聡明丸,九郎。官途は右京大夫,武蔵守。勝元の嫡子として応仁の乱中に家を継ぎ,摂津,丹波,讃岐,土佐の守護に就任。乱後は将軍権力の強化を図る足利義尚,義材(義稙)に抵抗,1493年(明応2)将軍義材を廃立し政敵畠山政長を敗死させ,幕府の実権を一手に掌握した。みずから擁立した新将軍義澄の加冠に際し管領に就任,以後細川氏家督のみが管領となる先蹤を開いた。しかしこの政変で畠山尚順をはじめ遠国大名の離反を招き,幕府が畿内政権に矮小化する契機ともなった。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

ほそかわまさもと【細川政元】

1466~1507) 室町後期の武将。勝元の子。応仁の乱後、将軍足利義澄を擁して幕府を掌握。養子澄之・澄元・高国の家督争いにまき込まれ、澄之派の家臣香西氏らに殺された。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

細川政元
ほそかわまさもと
(1466―1507)

室町末期の武将。室町幕府の管領(かんれい)。摂津・丹波(たんば)・土佐守護。応仁(おうにん)の乱中の1473年(文明5)父勝元(かつもと)の死により、細川一族でも管領の家柄である京兆(けいちょう)家を継承。86年以後、三度短期間管領となるが、93年(明応2)畠山政長(はたけやままさなが)を殺害して将軍義材(よしき)(義稙(よしたね))を廃し義高(よしたか)(義遐(よしとお)・義澄(よしずみ))を擁立、幕府の実権を握り、細川京兆家による専制体制を確立した。94年以降、没するまで13年間管領。政元は修験道(しゅげんどう)に凝り妻をめとらず、子もなく、九条政基(くじょうまさもと)の子を養子として澄之(すみゆき)、一族細川義春(よしはる)の子を養子として澄元(すみもと)と名のらせた。このため細川氏の家臣も二派に分裂し、政元は永正(えいしょう)4年6月23日澄之派の香西元長(こうざいもとなが)、薬師寺長忠(やくしじながただ)らに浴室で暗殺された。[矢田俊文]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

367日誕生日大事典の解説

細川政元 (ほそかわまさもと)

生年月日:1466年12月20日
戦国時代の武将;室町幕府管領
1507年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

細川政元の関連キーワード上野民部大輔薬研通吉光赤松洞松院足利季世記天魔ゆく空伊丹元扶山名政豊結城尚豊朝倉元景生年月日足利義政戦国時代葉室光忠畠山義豊細川澄元竜安寺郡山城香西氏下剋上三好氏

今日のキーワード

だまし面接

企業が面談や懇談会と称して就職活動中の学生を呼び出し、実質的には学生を選考する偽装面接のこと。2016年卒業の大学生に対する選考活動の開始時期を、従来の4月1日から8月1日以降へと後ろ倒しする主旨の「...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android